先週末、こんなツイートをしてみました。
最近、イベントでよく「どうやって価値観が異なる上司やクライアントを説得するんですか?」みたいな質問を受けるのですが、僕が大切だと思うことは、孫子の兵法にもあるように「戦わずして勝つ」ことだと思っていて。自分と価値観が異なる相手と対峙している時点で、それはもう戦っちゃってるんです。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年7月13日
どうしてもイベントとかだと「どうやって相手と戦って生き残ったのか?」という武勇伝が語られがちだし、いま実際にそんな価値観が異なる相手と対峙し戦っている人にとっては「自分もその秘訣を聞いて生き残りたい!」って思うはずなんだけど、そもそも戦場に出向いてしまっていること自体が間違いで。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年7月13日
だから大切なことは、戦わずして勝つためにはどうすれば良いのかを必死で考えることだと思います。そのためのお膳立てに徹する。それはものすごく地味な話だし、派手な戦いをしているわけでもないから目立たない。でも本当の勝利はそこにあると僕は思います。戦場に出向くことが一番の悪手。戦うな。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年7月13日
自分の中にある「好戦性」に気がつくことが大切。
一連のツイートを読んで「私だって、戦いたくて戦っているわけじゃないんだ…!」って思う方もいるかもしれません。
でも意外と思われるかもしれませんが、人間誰しもが「好戦的な一面」を持ち合わせているんだと思います。
まずはその事実を認めないといけない。
好んで戦場に出向いているわけではないと言いつつ、結局その場に足を運んでいるのは自分自身なわけだから。
「なんだこのやろう…!」と、案外すぐに腕まくりしてしまうのが人間なのだと思います。
もちろん僕だって例外じゃない。
その自分の中にある「好戦性」に気がつくことが、まず大切なのだろうなあと。
戦うことはあくまで手段。本当の目的は別のところにあるはず。
その上で、もうひとりの自分が「本当にこの戦いは必要なのか…?」ってことを常に考える。
もちろん、戦うことそれ自体が目的なのであれば、「戦う」という選択肢を選んでもいいのかもしれません。
「戦うこと自体が目的なんてあり得るのか…?」と思うかもしれませんが、強くなりたいとか、軍事産業のためとか、いろいろとあるんだと思います。
だから、いまだに世の中から戦争(戦い)はなくならない。
でも自分にとって、戦うことはあくまで「手段」であり、本当の目的として実現したい世界観がその先にあるのであれば、戦場に向かおうとしている自分に気が付き、「戦わずして勝つこと」に徹しないといけないんだと思います。
最後に
何度も繰り返しますが、そのための作業は本当に地味なことばかりです。
決して派手なことではありません。
多くの人が望むような「栄光」や「名誉」が手に入れられるわけでもない。
それでも自分にとって挑戦する価値があると思えるかどうか、逆に言うとそれが分岐点でもあるのかもしれませんね。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとって、何かしらを考えるきっかけとなったら幸いです。