短ければ、短いほど良い文章。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

1000〜2000文字程度で毎日ブログを書き続けていると、「よくそんなに毎日数千字の文章を書けますね!」と言われること多いです。

しかし実際は、3000字ぐらいの記事を書くほうがよっぽど楽なんです。そして、本当に僕が書きたいと思っているのは1記事800文字ぐらい文章。

「短ければ短いほどいい。ただ、それが非常に難しい。」今日はそんな話について少し書いてみようと思います。

いかに削ぎ落とすことができるか

「いかに削ぎ落とすことができるか。」文章を書く上で一番むずかしい部分は間違いなくここです。

1時間でワーッと3000字ぐらいの文章を書くのは意外と簡単なんです。慣れてくれば誰でもできるようになるでしょう。もちろんそれを毎日ブログに更新していくことも決して苦ではありません。

しかし、そうやって書いた文章は非常に読みづらい。内容が薄いというか、すごくぼやっとした文章になってしまいます。もっと“詰める”事ができるはずなのに、逆に隙間だらけで読みづらい印象になってしまいます。

「平易な言葉を使い、短い文章で、ズバッと言えること」

誤解を恐れずに言えば、「短ければ、短いほどよい文章だ」と僕は思っています。“純度”や“濃度”や“密度”が高ければ高いほどよい。

「平易な言葉を使い、短い文章で、ズバッと言えること」それが何よりも大切なわけです。

きっと日本人にとっては、遺伝子レベルで刷り込まれている感覚なんだと思います。古くは和歌や俳句など、最近ではLUMINEのキャッチコピーなんかもそうなのかもしれません。

絵の具をドンドン塗りまくって多色使いで“意味付け”をしていく西洋絵画と、墨の濃淡だけで表現し、色さえなくして無限の意味付けをする日本絵画。その違いです。

参照:鈴木大拙「禅と日本文化」を読んで。僕がブログで伝えたいこと。 | 隠居系男子

大切なのは意味のある一手

ただ、そんな感性を持っている日本人でさえも、いざ仕事や労働の場面になると全く逆の価値観で働いてしまうから不思議です。「日本人はプロセスを求めすぎる」という意味で非常に悪い例。

本当に大切なのは「意味のある一手」です。

このブログは学生さんも多く読んでいるので、学生さんにとっても卑近な例で言うと、「部活動」なんかがまさにそう。

とにかく「走ること」が日本の部活動では美徳とされていますよね。試合中にコートを走り回ったヤツが偉い。そして、そのために日々のトレーニングを毎日欠かさず行っていれば更に偉い。そこに「決断」や「判断」、「考える」という行為は求められません。

しかし本当に大切なのは、意味のあるワンプレー

極端に言えば、散々サボりつつ、本当に大切な場面で意味のあるワンプレーをすることができるかどうか、そこを見定めて試合の勝敗を決められるヤツが真に凄いプレイヤーなはずです。ただ、そうゆう働きをする人間が全く評価されないのが今の日本社会です。

最後に

だいぶ話が逸れてしまいましたが、言いたいことは同じこと。文章を書く上でも大切なのは、意味のある一手を打つこと。決して文字量ではないということです。

そうゆう意味で頭ひとつ飛び抜けているのは、やはり「今日のダーリン」を毎日更新している糸井重里さんでしょう。

ただ、僕が更にすごいなと思っていたのは、既にもう亡くなってしまいましたが「もしもしQさんQさんよ」を毎日更新していた邱永漢さんです。

糸井重里さんも「邱永漢さんほど“インターネット的”な人はいなかった」と仰っているほど、本当に何事に対しても本質をつける方でした。

参照:2001年出版の糸井重里著『インターネット的』が驚くほどの預言書だった。 | 隠居系男子

この「もしもしQさんQさんよ」は何冊にも渡って書籍化されているので、ぜひ興味のある方は手にとって読んでみてください。本当に過不足ないキレのある文章で驚きますよ。

特にブロガーさんは下手な「文章術の本」を読むより、これぐらい研ぎ澄まされた文章を読んだほうがよっぽど勉強になるはずです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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