どうも鳥井(@hirofumi21)です。
昨日発売された井上雄彦さんの新刊『バガボンド』36巻を読み終えました。
今までこのブログでは、バガボンドの書評を一回も書いたことがないのですが、実は無類のバガボンド好きです。
というより、井上雄彦さんの生み出す作品にすごい興味があって、『スラムダンク』や『リアル』、また以前紹介した『pepita』など漫画以外の分野の本も大好きです。
参照:承 井上雄彦 pepita2を読んで。日本人が受け取って、受け継いでいくもの。
今回は、バガボンド35巻あたりから描かれている「耕す」ということについて、自身のブログ執筆活動と絡めて書いてみたいと思います。
あ、もちろんネタバレありです。ネタバレ以外ありません。
耕すという行為
今、武蔵は見捨てられた土地に住み着いて、伊織と共に何もない土地を耕して、水田にしようとしています。
もちろん現代において、何もない土地を耕している人というのは、そうそう居ないでしょう。
しかし、バガボンドのスゴいところは、現代の人々のそれぞれが置かれている状況に重ね合わせて読むことができるということでしょう。決して、他人ごととして読むことが出来ない漫画です。
今回の「耕す」という行為は、今の自分にとって、ブログ執筆活動とものすごく重なりました。
ネット上の何もないまっさらな場所にサーバを借りて、ドメインを取得し、ゼロから構築していく…。
本当にそこに実るのかどうか、それすらもわからないまま、ただひたすら耕していく。いつか人が集まってきて、自分が書いた記事が人々の糧になっていくということ、ただその一点に希望を見出して…。
すぐに田畑にはならない。
今自分が行っている活動は、まさにこの「耕す」という行為であって、思うように上手くいかない現状も、武蔵と同様です。
学生時代に培ってきた論文を書く能力をそのままこのブログという土地で使っても、何も意味も無い。ただブログというメディアを「殺している」だけであると。
今まで培ってきた能力は一度脇において、ブログというメディアの本質を見抜かなくてはいけない。それこそ一度ゼロに立ち返り、少年の頃何もなかったあの場所で、ただ純粋に楽しかった頃の自分、やりたかったからやっていた頃の自分に戻らないといけない、そうゆうことだと思います。
何度も何度も失敗して、心が騒ぎまくってしまうけれど、書いて書いて書きまくらなければいけない、余分が落ちるまでー
その過程で確実に戻っていく感覚を、掴めてくるはずなんです。
良い土地を見に行く。
武蔵は、秀作の土地を何度も繰り返し見に行って、土の声を聞いてみるということをしていましたが、ブログにおいてこれは、プロのブロガーや良質な書籍を読みにいくのと同じ行為といえるでしょう。
それこそ、何度も何度も見に行く。はじめのうちは何が自分のところと違うのかわからないけれど、そのうち少しずつ気が付いてくる。
バガボンドの中では「土の中に聞こえる命のにぎやかさ」と表現されていましたが、文章にも似たような「にぎやかさ」というのはあると思っています。
一文字ずつ、跳ねているような感覚、ただ全体を通して見渡した時、驚くほど統一感がとれているという、あの何とも言えない感覚がきっとそれにあたるのでしょう。
失敗を繰り返すうちに、水が残る場所が1箇所だけ現れてくる。
このように、自己と向き合い、すでに結果を出している他人の地を研究していると、「また失敗か…」と絶望してしまいそうな時に、あのように一箇所だけ希望の光が灯るところが現れてくるんです。
それは、伊織が言っていたように、実は前回も湿っていたような場所。
今までは全く気が付かなかったけど、それがヒントだったんだと気がつくようになってくる。
そこに微かな希望があると思えれば、とにかくその部分を拡大させて行くことを最優先させる。そのジャンルをもっと広げたり、その時の書き方をどんどん活用していくわけです。
死の冬を越さなければいけない
ただ、「死の冬」を越さなければいけません。この「死の冬」は誰の人生にも訪れます。
この冬をどう凌ぐのか、ここで死人もたくさん出てくる。しかし、どうにかして越さなければいけない。
冬を越せたところで、春に苗を植えて、秋に本当に収穫できるのか、その保証もない中で…。
それでも、いま目の前にあるこの冬を越えなければならない、でなければ仲間と一緒に自分も死んでしまう…。
最後に
さて、ここまで無我夢中で書いてきましたが、バガボンドを読んだことがない人にはさっぱりな文章だったと思います。笑
でも読んだことがある人には、何かしら伝わっていれば嬉しいです。
ぜひ、これを読んでくれたみなさんも、今自分の置かれている状況に当てはめて考えてみてくれればいいなと。
ブログは比較的「耕す」ということに当てはめやすい活動ではありましたが、他のどんな分野でも、必ずこれに当てはめることができるはずです。
そして、読み終わったあとの、この当てはめるという行為が、バガボンドを読む一番の楽しさだと僕は思っています。
最後に、井上雄彦さんが久しぶりに、真正面から今の社会をディスってる台詞があったので、そこを引用しておきます。
強くなろうとあがく者が一人でもいると
何もしない自分がみじめだもんな
みんな同じなら見えないのに
異質なものがいると浮かび上がってしまう
自分のみじめさがだから追いだそうとして
それができないと分かると
嘲笑い下にみて
線引して隔てる
それでまたじぶんを見ずにすむ
井上さんに何があったのかはわかりませんが、こんなド直球な台詞を伊織(子供)に言わせて「メッセージとして伝えなければいけない」と思わせるぐらいの、今の世の中なんだろうなと。なんだか複雑な気持ちになりました。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!
鳥井弘文
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