「多様性を認めない人は認めない!」って言ってる多様性が多いというお話。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

昨日の「夏休みに読んでおきたいウェブ系書籍5選」の記事でも紹介した『津田大介の「メディアの現場」100号記念傑作選 ジャーナリスト編+メディア・アクティビスト編

この書籍に収録されている津田大介さんと糸井重里さんの対談の中で、ものすごく腑に落ちる話がありました。

それが、「多様性を大事にしろよ!」という主張に対する違和感について。今日はそんなことについて書いてみようと思います。

「本当の多様性はちょっと臭くて、いかがわしい。」

まずは本書から少し引用してみましょう。

津田:その話を聞いて「多様性」という単語が頭に浮かびました。今でこそ「企業経営にダイバーシティを」なんてフレーズがビジネスの現場でも多用されるようになりましたけど、そこで言われてるダイバーシティ──多様性って、本当に多様なのかよって疑問があるんですね。「お前ら『多様性が大事』とか言ってるけど、実際はきれいで無味無臭なものばっか集めてない?」っていう。本当の多様性ってちょっと臭いものだったり、いかがわしいものだったり、そういうものが混じってはじめて機能するものですよね。

糸井:「多様性を認めない人は認めない!」って言ってる多様性が多いですよね(笑)。

津田:その考え方自体が多様じゃねえよ! っていう(笑)。

糸井:よく知識人の人が「その本も読んでないのか」的な話をするじゃないですか。

津田:ありますね。ツイッター上でも他人との差異化ゲームに使われがちなフレーズというか……。とにかく他人を自分より下の立場に置きたいときに便利なんですよね。

糸井:もちろん自分にもそういう部分はあるんだけど、やっぱりそれって生意気な話だと思うんですよ。だって、その人がその本を読んだのはたまたまその本を読むことができる環境にいたから読んでるわけで。頭の良い人同士がやってる「武芸者のつぶし合い」みたいなところに一般人を巻き込まないでと思う。

「いる・ある」を意識するだけでいい。

このブログでも以前、多様性が大事だという主張に感じる違和感について記事を書いたことがあります。

参照:「日本人はもっと多様性を受け入れるべきだ!」という主張にいつも感じてしまうたった一つの疑問。 | 隠居系男子

この記事内にも書いたように、それこそお二人が語るような本来の「多様性の在り方」が日本の文化を創りだし、文脈を生み、この世界に類を見ない唯一無二の国を創りだしたのだと、僕は思っています。

どうしても多様性を語る人は、偉くて賢い人ばかりなので「強者の理論」で語ってしまいがちです。そこで目指される世界というのは、無味無臭で透明度が高い理想的な国。

でも、本当の意味で多様性を認め合える世界っていうのは、もっともっと泥臭くて、時には目を背けたくなるようなものが広がっている世界なはず。

もっと、うざったいところも意識しないといけない。それこそ「多様性を全く認めない人」も認めなていかないといけない。

別に「彼らに目を向けろ、受け入れろ」と言いたいわけじゃありません。苦手な部分も自分は苦手であると認めた上で「あー、いるのね。あー、あるのね。」と思うだけでいい。そこを排除しようとしないこと。

「いる・ある」を意識するだけで変わってくるんだと思います。

それが、結果的に以下の記事に書いたような「好き嫌い」の話に繋がっていっていくことが理想的なのだろうなと。

参照:柳井正「規模が小さければ、趣味ですよ。」振り切ることの重要性。 | 隠居系男子

最後に

この書籍に収録されている津田さんと糸井さんの対談は、どこをとっても本当に面白い話だらけです。ひとつひとつの話題を切り出して、自分事に置き換え、丁寧に考えてみたくなるお話ばかり。

この多様性の話題のキッカケになった、糸井さんの原体験のお話も非常に興味深いので、気になる方にはぜひ読んで欲しいです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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