どうも鳥井(@hirofumi21)です。
先日「夏休みに読んでおきたいウェブ系書籍5選」という記事内でもご紹介した『広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。』を読了しました。
「これまでのメディア」と「今のメディア」について、スッキリとわかりやすく書かれてとても読みやすかったです。今日はこの書籍を読んでみて、個人的に感じたことを少し書いてみようと思います。
この本の主題は「メディアで人間を“何人”動かせるか」
この本の主題は、「メディアで人間を“何人”動かすことができるのか」だと思います。スッキリしていてとても読みやすい理由は、そこだけにフォーカスして書いてあるから。
「メディアによって動いた1人の価値は、全て同価値である。」
誰が動いても同じ1とカウントするし、どうゆう背景を持った人々が動いたのかなど、その個体差は全く重要視していません。
「お金は稼いだもの勝ち!」という発想と似ていて、その辺がとてもスッキリしていて明快です。
SNSのアイコンがアニメの人でもいいし、プリクラの人でもいい。そもそもアイコンが設定されていない人でもいい。
参照:ブログ「隠居系男子」は、マルチポスト大歓迎です! | 隠居系男子
とてもマスメディア的な発想だと思います。マスメディア的な視点から「今のマーケティング手法は大転換を迎えましたよ!」ということが淡々と語られているのが本書です。
「日本人でも、中国人でも、インド人でも1人は1人である」と割り切っている。この本がスッキリしていて非常に読みやすいのは、敢えて余計な要素を省いて、そこにガッツリとフォーカスしているからなのでしょう。
選挙の喩え話。有権者の1票に格差はない。
選挙の喩え話がソレを一番物語っていたと思うので、少し引用してみましょう。
これまでのメディア環境においては、有権者(=生活者・消費者)に何かを訴えたい候補者(=企業)は、選挙カー(=メディア)に用意された演台の上で自社の商品やブランドについての「演説」を行っていればよかった。
「演説」の中身・内容について吟味をする必要はあっても、演説という方法自体は有効だった。候補者同士が競っていたのは、演説をする「声の大きさ」(=GRPといった露出ボリューム)だったり、聴衆の数を稼ぐための駅前ロータリー場所取り(=ゴールデンタイムのCM枠押さえ)というような状況だったのである。
しかし、これまで説明してきたように、現代のメディア環境は、選挙期間中といえども、街を歩く聴衆がみな、スマホで好きなコンテンツを眺め、耳にはイヤフォンをさしているような状況である。ただ駅前に選挙カーを乗りつけて演説するだけでは、話を聞いてもらうことすらできない時代がやってきてしまったともいえるのだ。
では、どうすればよいのだろうか? これからは、選挙カーから降り、有権者と同じフラットな地平に立って、「演説」ではなく、生身の人間同士としての「会話」をする姿勢を見せない限りは、有権者は耳に突っ込んだイヤフォンを取ろうしないだろう。 そして、有権者へ向かって一方的な「演説」を行うのでなく、一人の個人と個人として向き合い、心の通った「会話」をしようとするならば――それは、事前に計画を立て、すべてを「コントロール」するという発想をあきらめるということをも意味する。
「有権者であれば、みんな1人1票。その1票に格差はない。」そう考えていることが見事に伝わってくる比喩表現だと思います。
最後に
動いてくれた人々から、どんなフィードバックが得られるのかなどは書かれていません。動いてくれた人たちが、次にどうゆう行動を取るのかということも同じようにバッサリ切られています。
とにかく動いてもらうこと。わかりやすく僕らのひとまわり上の世代の方々の考え方だと思います。
「数値化できるものが何よりも大切である。1は1。そしてその数字がビジネスに直結することが一番大事。」
きっとこの話が行き着く先は「世界70億人全員を“メディア”で動かしたい」という話になるのでしょう。この本を読んでいて改めて「振り切ることの大切さ」を実感しました。
参照:柳井正「規模が小さければ、趣味ですよ。」振り切ることの重要性。 | 隠居系男子
上の世代の人達がこの分野をド真剣に振りきって考えてくれているからこそ、僕らの世代はもっと違うアプローチから考えるべきだろうなと。
自分たちが可能性を感じている“双方向性”や、メディアにとっての受け手は決して“同価値じゃない”ということ。それらをもっと振りきって追求していきたいなと改めて思いました。
何はともあれ、本当に読みやすくてわかりやすい本です。マスへ向けたメディアの今を知りたい人は、ぜひ読んでみて欲しいと思います。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。