さらに「つぶやき下書き」を晒してみる。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

昨日書いた「最近の「つぶやき下書き」を晒してみる。」という記事。

やはり自分にとっては良い発散の場となりました。なんだか、妙に心地よいのです。

自分が漠然と考えていたことを、未完成のまま吐き出すことによって、いつもとは違うアウトプットが出来たので、これはこれでありなのかなと。

ということで、予定を変更し、今日も晒していきましょう。

つぶやき下書き

10個程度、晒していきます。

・海外に気になる人がいるなら、実際に現地に行って直接会ってみて、その人の目を見て話しておいで。そうすればすぐに分かるよ、その人が自分にとって本物かどうかなんて。

・「つまらないもの書いちゃったなー」っていう自己嫌悪と、「次は何を書こう…そうだあれが面白いんじゃないか!」っていう自惚れの連続。でも、それが自分を成長させていることもよくわかってる。

・宮﨑駿「自分が信頼している人は常に正しい。」 これはホントだよねぇ。自分も間違いなくそう思う。いまの世の中、人を疑い過ぎなんだよ。

・一つの分野で自分の感性を超えてくる相手がいた時に、他の部分でも自分より優れていると、相手に期待するのやめたい。大抵の場合は、その真逆で他の部分は自分よりも劣ってる場合のほうが多い。

・「Pocket」とか「後で読む」系のサービスを絶対使っている人たちが、Twitter上で「あとで読む。」宣言しているときあるけど、あれなんなの?どうゆう意味が込められてるの?

・ブログを毎日書き続けることで、リアルの場で自分の意見を他人に押し付ける事が少なくなった。「絶対に◯◯でなければならない!」と思ってしまう感情は、毎日吐き出す場所を用意することで、ドンドン減っていくのだなと。

・「有名になりたいという欲求は、自らの存在証明を他人に授けてしまっているだけ。そんなことで自らの価値を決めてはいけない。」なるほどなぁ。

・今自分がTwitter使えている理由って、やっぱり中国で生活している間、一年半Twitterを使えなかったのが大きいと思う。これがなかったら、Twitter依存症になっていただろうな。「依存しそうだ」って思うものからは、一旦距離を置いてみると、それの本当の姿が見えてくる。Twitterもただの道具でしかない。

・僕にとって「コンテンツ」とは、自分が他人と繋がるための「媒介物」や「キッカケ」でしかなくて、そこに大きな意味はない。だから、コンテンツそのものにはほとんど興味がなくて、その裏にいる人たちを理解するための一つの要素としてでしか捉えていない。ジブリ映画にしても然り。

・「上に立つものとして、時にあえて自分がボトルネックになっておく。」というのも大切なのだろうなと。最近仕事を通して学んだこと。

最後に

常に吐き出したいことをメモし続けていると、こんな文章が常に100個以上溜まっている状態になります。

このアイディアの断片みたいなものを、どう扱うのかがいま結構重要な気がしていて…。

ただし、このブログで毎回吐き出すとなると、色々とブログの色や方向性が変わってしまうので、やっぱりこれはnoteを使ってみるのが一番良いのかなぁと!

なんだかそんな方向性を探ってみるのが、いま一番面白そうです。

近々noteを使って始めていきたいと思います。

鳥井弘文 (hirofumi21) | note

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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