僕らが考える“中身のある”コンテンツとは?

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

今日は、これから求められる”中身のある”コンテンツとは何なのかということについて書いてみようと思います。

皆が口を揃えて同じような話をするIT界隈。そんな意識高い系のお話ではなく、本当の意味で面白い、“中身のある”コンテンツとはなんなのか、それについて自分なりの考えてみます。

場所を提供するだけのプラットフォームを創り出す時代は終わった。

最近Twitterで以下のようなつぶやきをしました。

この考えに近いことが、以下の本でも語られていたので少し引用しておきます。

宇野常寛さんと対談している尾原さんとは、以前こちらの記事でもご紹介したことのある尾原和啓さんです。
参照:平成生まれにオススメしたい!『ITビジネスの原理』という良書。 | 隠居系男子

尾原 たしかにベンチャーがつくりだすプラットフォームから生まれる「文化」もあります。でも、プラットフォーム屋である僕からすると、結局はそのプラットフォームに乗るコンテンツの中身が重要だと思うんです。

コンテンツって、ベンチャーがプラットフォームを整備しさえすればつくれる、というものではないですよね。これからは「コンテンツを中身のあるものにしていくための運動体をどうつくっていくか」が大事なんじゃないかな。

宇野 それはとてもクリティカルな批判ですね。日本のベンチャーブームは、良くも悪くも「意識の高い学生」がつくりだしたサブカルチャーでした。それがこの20年のITベンチャー文化を支えていたけれど、そういう「意識は高いけど中身がない」もので良かったフェーズはもう過ぎている。

かといって、形骸化した過去の、戦後的な「文化」に回帰しても出来の悪いコスプレにしかならない。なので、僕は新しい時代の、新しい文化のスタンダードをインターネット世代がつくっていくべきだと思うんです。

普通の暮らしの中にある、普通の話。

では、ここでいう中身のあるコンテンツとは何なのでしょうか?

少し話が逸れてしまうのですが、僕は里山に行けば行くほど、自分の話の中身の無さ、そしてそのつまらなさに辟易しています。

地方に暮らす人々のお話を聞かせてもらいながら、自分の話がいかにつまらないか、それを思い知らせれてしまうわけです。

この人達が語ることの方がよっぽど自分なんかよりも面白いと。

彼らの話は全く浮ついていないのです。どっしりと構えた印象の中で、丁寧な受け答えが返ってくる。やっぱりそこには人間らしい丁寧な「暮らし」があるからなのでしょう。

ネット上で繰り返される、もう見飽きたよ!っていうコンテンツ。加工ばかりの“絶景”写真や、手垢つきまくりの“感動”話など、そういった既視感のある話をドヤ顔で語る人は地方には誰ひとりとしていません。

かといって、地方の伝統文化であったり、古くから伝わるありがたいお話を語ってくれるわけでもありません。もちろん、懐古主義とか「全部自給自足で暮らしています!」とかそんな極端な内容でもないわけです。

あくまでも、今の時代に合わせた「普通の暮らし」。Amazonや楽天も使うし、iPhoneやMacも使いこなしている中で生まれてくる事。

つまり、中身のあるコンテンツとして次に求められる一つの答えとしては、暮らし方そのものなんだろうなと。それが文字や写真、動画や音声などで表現されていればそれだけで十分。

少なくとも僕らにとっての”中身のある”コンテンツというのは、そうゆうものだと確信しています。

最後に

地に足の着いた「普通の暮らし」の話は、地方にもそして都会にもゴロゴロと転がっています。

しかもそれは各地方ごとに異なり、いや、各個人個人で異なり十人十色。

それを僕たちはしっかりと拾い上げていきたいなと思っています。決して万人受けするものではないかもしれませんが、それが新しい時代の新しい文化の発見につながり、それをつくりあげていく方向へと導いてくれるような気がしています。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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