どうも鳥井(@hirofumi21)です。
昨日の記事に引き続き、大学生の感度の高さについて。大学生の感度の高さはなにも「なんか気になる…なんか面白い…」ということだけに限りません。
逆もまた然りです。「なんか気持ち悪い…なんか居心地が悪い…」という感覚だって絶対に見落としちゃいけないものだと思います。
今日はそんなお話を少し書いてみようかなと。
昨日の記事はこちら:大学生の感度の高さは尋常じゃないんだから、もっとそれを発信したほうがいいよというお話。 | 隠居系男子
Facebookに手を出さなかった学生時代。
まずは自身の経験を少しだけ。
丁度、僕が20歳、21歳の頃に日本でもFacebookが普及し始めました。映画「ソーシャル・ネットワーク」も公開されたりして、Facebookが完全に持て囃されていた時代です。
でも当時の自分にとってはFacebookがなんだかとっても気持ち悪かった。だからまわりがいくらアカウントを開設し始めても、僕は手をだしませんでした。
それから月日は流れて、仕事でFacebookメッセンジャーの必要性にかられて、昨年Facebookのアカウントを作り、たまにタイムラインなどを眺めたりしますが、そのたびに思うのです。
あー、あの時の自分の感覚を信じておいてよかったなと。
20代前半にこれをずっと眺めていたら、今の自分なんて絶対にいない。あのタイムラインに流れてくる投稿に多大なる影響を受けてしまっていたはずですから。今みたいな生き方には絶対にチャレンジすることはできなかったでしょう。
自分のアンテナを信じて離れる勇気も持って欲しい。
同じように、今の学生さんたちも「なんか気持ち悪い…なんか居心地悪い…」って思っているものがあるのであれば、どうかその感覚を信じてみて欲しい。
ここで誤解しないで欲しいのは、それ自体が害悪だと言っているわけではなくて、自分にとって合うか合わないかの判断、そこを他者の価値判断基準に合わせてしまうのではなく、自分のアンテナを信じて判断してみて欲しいということです。
僕が21歳の時は、Facebookを褒め称える記事や言説ばかりでした。まだ何の経験もしていない自分では、それをロジカルに否定できるわけもなく、自分の感覚が間違っているのかなと不安に思うこともしばしば…。
口の上手い人が書いたり主張したりしているのを見ると、「あー、そんなものなのかな」って思って、流されてしまいそうにもなりましたが、相手の言ってることに対してロジカルに反論できなかったとしても「なんか気持ち悪い、なんか居心地悪い」って思ったら、決して我慢しないでそこから離れる勇気も必要なんだと思います。
今の学生さんたちを見ていると、ここの耐性が強すぎる。他者の価値判断基準に合わせるのが上手すぎて、よくもまぁそんなに自分を押し殺す事ができてしまうなと感心してしまう程です。
最後に
昨日書いた「なんかおもしろい、なんか楽しい」と同じぐらい、「なんか気持ち悪い、なんか居心地が悪い」という感覚も絶対に大切にした方がいいと思います。
それに従って、結局まわりと同じような人生を歩めなくなったとしても、そのほうが何倍も自分らしい人生を歩めるはずです。
ぜひ20歳、21歳の頃の感度の高さは大切にしてください。これを読んでくれた若い人たちの何かしらの参考になったら幸いです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。