「複数のタイムライン」でストーリーが展開される映画が今持て囃されているというお話。

どうも鳥井です。

先日以下の対談記事を読みました。

【対談】佐々木俊尚から高城剛へ「どうして今、南の島をまわっているんでしょう?」 – ライブドアニュース

この対談内でも語られている「タイムラインがひとつの映画には飽きてしまう。複数のタイムラインで話が進んでいく映画が今持て囃されてる。」というお話を、今日は少し書いてみようかなと思います。

「感覚的に多動的であることが気持ちいい時代。」

まずは、高城剛さんと佐々木俊尚さんの対談の中で「多動力」に関する部分を少し引用してみたいと思います。

高城 僕はコンピュータのアーキテクチャ自体が受け皿になっていると思うんです。マルチタスキングとか。コンピュータっていう基本的な思考がマルチタスキングを可能にしてくれるから、僕らはいろんなことやっていられる。

(中略)

佐々木 今のマルチタスキングの話に近いところでいくと、情報の消費もそうですよね。今まで情報っていうのは作られた番組とか書籍とか。それが、チャネルを通していろんなところに流れていて、そのチャネルそのものをメディアと呼んでいたわけです。

それがインターネット時代になって、検索もあるしSNSもあるし、ありとあらゆるところに情報がありますよね。ある意味、自分が望んだ瞬間に情報が手に入る。情報がジャストインタイムみたいな状況になってきていて、常にすべてがあるっていう。ありとあらゆるものを同時並行的に吸収、消費するっていう状況が出来ているわけです。

例えば、2000年代に入って『24-TWENTY FOUR-』って流行ったじゃないですか?

高城 アメリカのテレビドラマですね。

佐々木 あれって、ワンエピソードがひとつの時間軸のなかにあって、主人公だけでなくいろんな人たちが同時並行で、複数のタイムラインで動いていて、それがどんどん切り替わっていく。視聴者は、普通に4つぐらいの並行した話を吸収して楽しむわけです。

でも、あのドラマを1970年代の消費者が見ると、多分理解できないんじゃないかな、と。

高城 反対に、僕らが昔の映画を観るとダルいですもんね。最近の映画の予告は、5秒で勝負ですから。そして、リピート。

佐々木 そう、3時間ある作品とか。タイムラインもひとつのものが多いですしね。

高城 ノンリニアになってない。

佐々木 つまり、インターネット以前の人間ってひとつのタイムラインの中で見る、生きるっていうのが当たり前だったんです。

ところが、現代に生きる我々は複数のタイムラインを見る、生きることができる。そういう感覚に変わってきてるのではないかな、と。そういう状況の変化と、高城さんのような多動的な人たちが脚光を浴びるっていうのは、無関係ではないと思うんです。

高城 おそらくですが、感覚的に多動的であることが気持ちいい時代なんですよ。ひとつのものに収まらずに、浮いている感じ。ちょっと感覚的な話なんですけど…。

川村元気プロデュース作品『怒り』も、複数タイムライン形式。

この部分を読んだ時すぐに、「あ!『怒り』もそうだ」って思ったんです。

まだ上映中の作品なのでネタバレは避けますが、川村元気さんプロデュース作品の『怒り』も3つのストーリーが同時並行的に進んでいくタイプの映画です。

怒りポスター

画像引用元:「怒り」渡辺謙、森山未來、広瀬すず、綾野剛ら7名集結のポスター、撮影は篠山紀信 – 映画ナタリー

ポスターに並んでいる俳優陣それぞれに強い個性があり、それぞれのストーリーが展開されていきます。そして、それは決して交わることはありません。

『シン・ゴジラ』や『君の名は。』も。

最近流行った映画を振り返ってみてもそうです。

『シン・ゴジラ』は各省庁の話が行ったり来たりしますし、『君の名は。』も入れ替わっている男女の日常生活が行ったり来たりする作品ですよね。

一方で、先日公開されたばかりの、映画「SCOOP!」は福山雅治さんを中心に、ずっとひとつのタイムラインで話が進んでいく映画なので、観ながら少し退屈してしまいました。

どう退屈なのかといえば、途中でスマホに手を伸ばしたくなる感じ。

「中だるみ」という表現が一番近いのかもしれません。

スマホに手を伸ばさせないためにはどうすればいいのか?

「映画はノンリニアの代表である。」

というのは、田端信太郎さんの「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」という書籍に書かれていた話ですが、既に映画でさえ、ノンリニアではなくなっている。

バイラルメディアに対する違和感の理由と、”親近感”というハイコンテクストの可能性。 | 隠居系男子

これが非常に面白い現象だなあと。

僕らの思考の心地よさや、快楽みたいなものは、スマホ的になっていて既に「複数のタイムライン」であることが必然となってきている。

だから極端な話、ユーザーや視聴者にスマホを置かせて、長時間何かを見せたいと思うのであれば、スマホと同じ快楽を与える必要がある。

それがつまり「複数のタイムライン」的な展開であるということなのでしょう。

川村元気プロデュース最新作『何者』も複数タイムライン形式?

さて、そう考えてくると、今週末に公開される川村元気さんプロデュース最新作『何者』もまさに「複数のタイムライン」的な作品なんだろうなと。

原作も読んでいないですし、まだポスターと予告編しか観ていないですが、構成が『怒り』と非常に似ている気がします。

何者ポスター

画像引用元:「何者」本ポスタービジュアルと佐藤健や岡田将生捉えた新場面カット解禁 – 映画ナタリー

原作を読んだ方は、原作はどう進んでいるのか、ぜひ教えてもらえると嬉しいです。

なかなか自分の分野に落とし込みにくい話ではありますが、今の時代のヒントがここにあるような気がします。

皆さんの参考にもなれば幸いです。

それでは今日このへんで。

ではではー!

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