どうも鳥井です。
行ったり来たりを繰り返していると不安になる。たとえば、都会と田舎。たとえば、最先端テクノロジーとクラフト文化。両方で出会う人々の「これが私のすべてです」を見せつけられると、どっちつかずの自分に不安になる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月16日
でも、この行ったり来たりが一番多くの気づきを与えてくれる。メディアをやるなら、絶対に行ったり来たりだなと。どうせいつかは行ったり来たりができなくなるんだから、行ったり来たりできるうちは、とにかく徹底的に行ったり来たりを繰り返したほうがいい。その反復がいつか自分の大きな財産になる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月16日
自分たちの中にある恐れや不安に、押し潰されないように。
一方で、自分たちの中にある残酷さや醜さにも常に自覚的であるべきだと思います。
「鳥井さんたちは、イケダさんやちきりんさんとは違って煽るタイプじゃないから、物腰柔らかで優しいですよね。」って言ってくれる人がたまにいるんですけど、それは違いますよ。僕からしたら、イケダさんたちの方がよっぽど優しいなと思ってる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月16日
例えるなら、彼らは地震が起きた時に「津波が来るぞー!」って叫びながら、一軒一軒いろいろなところに声がけをしながら、逃げているような状態です。一方で僕らは「津波が来るようです」って看板を掲げつつ、淡々と逃げているだけ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月16日
逃げる最中、そのまま家に留まっている人達と目が合った時は、笑顔で「こんにちはー!」って挨拶するだけで「あの人たちは、そういう生き方を選ぶ方が納得感あるみたいだね」ってニコニコ話しながら、その家の前をただ通り過ぎているだけですから。そのほうがよっぽど残酷だなと思いながらやってます。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月16日
良し悪しの基準はいつも、自分たちの中に。
大切なことは、まわりの言葉や、反応にいちいち振り回されないこと。
良し悪しの基準はいつも、自分たちの中に。
そんなことを考える今日このごろです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。