フラットな姿勢が大切。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

例えば、何か文章を書くときに、予めコンセプトを決めたり、何かテーマを持って書くことは善とされています。

特に一定数以上の人数で運営しているメディア形式の場合であれば、尚更何かわかりやすい軸となるようなテーマが要求される。

もちろん、それは大いに正しいことでしょう。

ただ時と場合によっては、最初からそんな風に結論ありきだと良くない時もある。今日はそんな話をちょっと書いてみようかなと思います。

地域に移住している人たちみんなが「エコでロハスな、丁寧な暮らし」を求めているわけではない。

例えば、地域取材における話。

僕らが地域に取材に行って現地の方々からよく聞かされる話は、「以前もマスメディアの方々が取材に来てくれて、それはとても嬉しかったんだけど、彼らは最初から結論ありきの取材をしてくるから、自分たちが本当に伝えたいこととズレてしまう」ということ。

特に地域に移住している人たちは、「エコでロハスな環境で仕事をしたい!丁寧な暮らしをしたい!」というテンプレが用いられてしまいがちです。

でも実際、今地域に移住している人たちはそんな想いで移住していない、いやそれを求めて行っている人も確かにいるけれど、それ以外の全く別な“野望”を抱いている人たちも多い。

例えば、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんのように「豪族2.0」のような野望なのかもしれないし、これまでに聞いたことも見たこともないような野望なのかもしれません。

参照:キーワードは”豪族2.0″! これからは一旗あげるために地方へ行く。発酵デザイナー・小倉ヒラクさんが考える、今とこれからの日本のカタチ | greenz.jp

新しいことはいつも東京で起きている、わけじゃない。

最初から結論ありきで話を聞きに行ってしまうと、自分たちが持参した結論とズレた時に対処できなくなってしまいます。

その結果、自分たちが用意してきたその結論に無理やり当て込もうとして、取材をすすめてしまう、編集してしまう。でもそれが一番やってはいけないことだと思います。

「新しいことはいつも東京で起きていて、その東京から地方に情報が流れていく。だから、地方で自分たちの知らないことなんて起きているはずがないであろう」という誤解。そんな誤解がきっと、このような無理矢理な編集を生み出してしまうのでしょう。

でも、今地域で起きていることは全くあたらしいことであって、東京に一切入ってきていない情報もたくさんあります。そこで起きていることが、自分の知識や知見の範囲で導き出した結論ありきのテーマに当てはまるはずがない。

だからこそ、色々な方の話を聞いて、多面的に眺めた結果、やっと浮かび上がってくる共通の「テーマ」を探り出すしかないのだと思います。

それを見つけ出すことができるまでは、一切恣意的な感情や結論は入れないほうがいい。予想程度でとどめておくべきです。

最後に

大切なことは、まず自分たちの興味があるものをただひたすら並べてみて、それらの“違うところ”と、“同じところ”を炙りだしてみる作業なのだろうなと。

新しい“何か”を発見したり創造したりするタイミングっていうのは、そうやって自分(達)の知的好奇心が向かう先をまずは純粋に並べてみて、フラットに向き合ってみるという姿勢が実は大事だったりするのではないでしょうか。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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