プラットフォーム戦略におけるグローバル企業と個人の共犯関係

BB.exciteモバイルLTE SIM三枚コースを最近購入してみました。どうも鳥井( @hirofumi21 )です。

前回の記事(夏モデルのスマホ買う前に!Androidのメリット・デメリットを考える! | 隠居系男子)では、Androidのメリット・デメリットを挙げて、その使い勝手に触れてきました。

やはり、Androidと比較した際のiOSの使いやすさと、そのプラットフォームとしての完成度の高さは素晴らしく、まだまだ追い抜かれることはないと思います。

しかし、このような話をしていると、「Appleの戦略は強力なエコシステムを作り上げ過ぎていて、自由度が効かない。」と度々批判されてしまいます。

「Apple帝国」や「アップル信者」などと揶揄されているのをみなさんも一度は聞いたことがあるでしょう。

「主従関係」ではなく、個人とグローバル企業の「共犯関係」

この話題が論じられる時、極端な話僕は、もっともっと強力なプラットフォームである<場>が作られていき、どんどん消費者は支配されていくべきだと考えています。

でもこれは決して、単に搾取されるだけの「主従関係」ではありません。

この点について、佐々木俊尚さんが『レイヤー化する世界』の中で使っていた言葉が一番わかり易いと思うので紹介させてもらいます。

佐々木俊尚さんは、この関係はまさに「共犯関係」なのだと論じており、本書の中で非常に分かりやすく書かれています。

以下、佐々木俊尚著『レイヤー化する世界」』から引用。

私たちは<場>に支配される被支配者です。
しかし同時に私たちは<場>を利用しています。

中略
<場>に支配されていることを知っていながら、自由を得るための大小として、支配を受け入れているのです。

一方で<場>は圧倒的な支配者でありながら、私達がいなければ存続することができません。

<場>は私達の自由な動きからエネルギーを得ているのです。

中略
互いが互いを出し抜こうと必死に動き、しかし結果としてソレが互いの関係を深めていき、互いの存在を強くしていくことに繋がる。嫌いなもの同士が結束しているような関係にも見えます。

だからこれは一種の「共犯」関係なのです。

※佐々木俊尚さんは、プラットフォームのことを本書では<場>と書いています。

確かに自由度が高いほうが、何の縛りもなく、好き勝手思い通り出来るような気がしてしまいます。

しかし、「わかりやすくシンプルに使うため」「日々の日常をより便利にするため」であるならば、ある程度の自由は求めないほうが結果的にうまくいくということがあることも事実です。

それは、前回の記事で紹介したAndroidのデメリットをみても明らかなのではないでしょうか。

「国家と自由」のせめぎ合い

また、歴史的に見ても人間は「国家と自由」のせめぎ合いをしながら、同じようなことを繰り返してきました。

例えば、わかり易い例で言うと…

人々は「警察」の機能を国家に預けることにより、犯罪に巻き込まれるリスクや、自分の命が奪われるリスクに対して、自らのコストや労力を払わなくてもよくなりました。

「医療」の機能も国家に委託することにより、人々は自らの怪我や病気のリスクを自分たちで担保する必要がなくなったのです。

このように、国家が成立するまでは、各人にその責任が重く課されていて、自らがそのリスクを回避するために人生の中の莫大な時間をソレに費やしていたのでしょう。

しかし、このような部分を国家に託すことによって、フリー(自由)な時間が増え、人々はより創造的な活動をすることが出来るように変化してきたのです。もちろんソレに対して支払う代償(規制・義務)は決して小さくはありません。

これに関しては、今も「大きな政府」と「小さな政府」というように議論は尽きないところではあります。ただ、それでもある程度までの制限を加えることについては、皆が同意しているところだと思います。

グローバル企業の国家化

今後、グローバル企業が各国家政府では賄えない部分のリスクであったり、不安を取り除いてくれるようになり、そのうち国家の機能も代替するようになっていくのは間違いないでしょう。

そんな時、自分はどのような企業のどのようなシステムを支持するのか。そして、どのように進んでいって欲しいのか。

GoogleやAppleが、今まさに巻き起こしているこのプラットフォーム合戦で各人が考える契機にしてみると良いのではないでしょうか。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

鳥井弘文

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