どうも鳥井です。
このブログに度々登場している発酵デザイナーの小倉ヒラクさん。
参照:雑誌「TURNS」連載第6回 発酵デザイナー・小倉ヒラクさんに「これから地方を盛り上げる豪族2.0」について聞いてみた。 | 隠居系男子
昨日、ヒラクさんの連続ツイートがあまりにも同意してしまう内容だったので、僕もそれに呼応する形で連続ツイートしてしまいました。
今日はそれらが流れてしまわないように、このブログにまとめておきたいと思います。
「法人=資本主義、個人=社会主義の分離統治で犠牲になったのが『個人の生産性に対する意識』。」
最近の「働き方議論」で、労働量で評価する時代から生産性で評価する時代に移行しようと言われているけど、これってもっと突き詰めて言うと「思考力の多寡で仕事の質が決まるよね」って話になる。生産性を上げるためのテクノロジーやリソースを適切に分配できるかは「思考力」にかかってくるからね。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
じゃあ「思考力を爆速で鍛えよう!」みたいな流れが出てくるんだけど、たぶん本当に実用に耐える思考力って、小さい頃から地道に積み上げていくものなんだという気もしていて。だから「大事だ!」とみんながハッとしてもどうしようもない側面があるかもね。おお、これが「文化資本」のことなのか…。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
終身雇用・年功序列のベースのうえの、給料が主婦の奥さん管理で「お小遣い制」という圧倒的囲い込みが企業におけるサラリーマンの生産性を破壊したという仮説。だって自分に何かをインプットする原資もやる気も出ないし。見方を変えると「賃金の公正配分」を目指す社会主義のようでもある。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
つい最近までの日本の経済システムは「法人」はバリバリの資本主義で動き、その法人に囲われた「個人」は疑似社会主義で生活を保証されるという合わせ技で運営されていたと考えることもできる。「豊かな社会でみんな安心・幸せ」という建付けなので、優れた統治コンセプトだったと言えないかしら。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
法人=資本主義、個人=社会主義の分離統治で犠牲になったのが「個人の生産性に対する意識」。個人も資本主義のシステムでやっていきましょうとなった時に社会主義時代のマインドのままギアチェンジできない大多数の人は苦境に追い込まれる…という仮説を立てると、起業を目指す若者の気持ちがわかる。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
「起業」というのは「法人」と「個人」を一体化させるということ(実際僕も自分でつくった「法人」の保証人になった)。事業の生産性=自分個人の生産性という風に、かつてのサラリーマン社会にあった分離が克服されている。と書いていて何が良くて何が悪いのか自分でもわからなくなった。世知辛いね。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
「副業禁止規定の緩和」によって、雇用される側にとって残酷な社会が待っているのか?
ヒラクさんの一連ツイートは本当にその通りで、ちょっと話がズレるけど、最近の「副業禁止規定の緩和」とかも雇用する側よりも雇用される側にとってものすごく残酷な世界が待っている可能性があると思うんだけど、どうなんだろう?
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月12日
優秀な人はドンドン会社の枠を超えて仕事を取っていくし、そうすることで優秀な人にもっと仕事が集まるようになるし、そもそも正社員として雇うという発想自体が雇用する側からなくなり、パラレルキャリア前提の雇用が当たり前になる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月12日
だから、正社員という保障があったからこそお給料をもらえていた人たちは、厳しい言い方だけど、月に20万稼ぐことさえ難しくなるんじゃないだろうか。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月12日
もっと正社員側の人達から「副業禁止規定の緩和はやめてください!」って声が上がってもいいと思うんだけど、意外とそうはならなくて、むしろそういう人たちほど副業禁止規定の緩和を率先して喜んでいるからおもしろい現象だなと。みんな今の給料のまま「副業OK」になると思ってる。そんなわけない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月12日
一方で、経営者の方々が喜ぶのはよくわかる。労働力を使った分だけ支払うという従量課金制になるわけだから、これほどありがたいことはない。もう労働力さえも所有する必要はなくなり、シェアできるようになるんだから。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月12日
起業すると一番最初に気づくのは、大企業が何万人、何十万人という人たちに対して一家を養えるだけの給与を毎月支払い続け、それが40年以上も絶えることはないというシステムをつくりあげたことのスゴさ。これがいかに素晴らしくて、奇跡的なことなのか、起業すると身に沁みてよくわかる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月12日
「組織の構成メンバーに公正な分配をしつつ、組織自体としては高い生産性を実現する、というハイブリッドな経営ができる人が増えていく必要がある。」
「副業もちろんOKでしょ」とか「生産性や結果で評価される社会がいい」というスタンスを取るということは「自分が勝てる」という目算があるというのが前提。「勝ち負け」の理論を突き詰めていくと、「一人だけ勝ち、残り全員負け」ということになる。みんなが「最後の一人」になる前提は論理的矛盾。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
「自分だけは勝てる、得できる」というのはねずみ講の駆動原理。鳥井くんや僕が「すべからく個人に生産性が求められるのはどうなの?」と疑問を持つのは「社会のねずみ講化」に対する違和感なのだと僕は思う。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
最近は東京のイベントには出ないようにして、なるべく地方の小さなコミュニティと話をする機会を優先している。東京の感度高いサークルを例外として、各地の地域コミュニティで生きている人は「ぼちぼち自分らしく暮らす」というのがリアルな願い。この「ぼちぼち」の難易度はこれからどんどん上がる。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
この「ぼちぼち自分らしく」をキープするためには、組織の構成メンバーに公正な分配をしつつ、組織自体としては高い生産性を実現する、というハイブリッドな経営ができる人が増えていく必要があるんだろね。すでに新世代の経営者はそういう意味では単なる競争原理の世界を一周して次のターンにいる。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
戦後に創業したベンチャー企業が、いかにして「小さな社会」になり、そこで雇用者やその家族の生活を保証する「セキュリティ機関」になったのか、そのプロセスとコンセプトをもう一度発掘しなおす時期が来るのかもしれないなと思いました。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年1月12日
僕がこのコーポレートサイトのインタビューで言いたかったことも、まさにこのヒラクさんが言うハイブリッドなやり方のことなんだろうなと思った。言語化もっと上手くなりたいです。 https://t.co/Tq68hhmf8K
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月12日
最後に
僕がこの一連のツイートで言いたかったこと、そして自分が起業を通して実現させたいことの根源にあるのはいつも、「理想を失わない現実主義」という一言に尽きます。
現実を見渡せば、確かに世知辛い世の中に見えてくるし、「だから生産性あげてバリバリ仕事して稼ごうぜ!」と単純に主張するのも、多くの人にとって地に足のついていない理想主義でしかないように思える。
どちらの視点も持ち合わせた上で、自分たちにとって本当に実現可能な理想の暮らしとは何なのか、そして多くの人にとって再現性が高い方法とは何なのか?それをしっかりと見定めていきたい。
その上で、「灯台もと暮らし」というメディアや株式会社Waseiという会社を通じ、僕らが関わっていく人々にとって、本当に居心地のよい居場所をつくりあげていくことが、僕の何よりの願いなのだと思います。
今回の一連のツイートが少しでも皆さんの参考になれば幸いです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!