どうも鳥井(@hirofumi21)です。
たまにブログのお問い合わせフォームから飛んでくる、「いつもブログ読んでます。これからも楽しみにしています、応援しています。」っていう何も見返りも求めていないメッセージ。
これ、書き手からすると一方的に“与えてくれる”行動でしかないんです。しかも与えてくれるといっても、言ってしまえばタダの言葉の羅列だけ。何か金銭的なメリットや、ビジネスチャンスに繋がるわけでもない。
つまりこの行動って互いにとって何も産まないわけです。結局誰の何のメリットにもなっていない。
生産性の話や経済合理性の観点から言えば、全くのムダでしかない。
でもやっぱり受け取った側としては純粋に嬉しいですし、今こういったムダなことがすごく大事だよなぁって思います。今日はそんなお話です。
直感的に必要だって思ったことを、もっともっと行動に起こしてみたほうがいい。
上記の感想のメッセージだって、もしかしたら間接的に巡り巡って、自分たちの予想を遥かに超えた次元から何かが生まれてくるかもしれない。
因果関係すらも立証できないような幸運が起こる可能性もあれば、全くのムダに終わる可能性もある。
でも、そういった行動を僕らはもっとやらなきゃいけないんじゃないのかなぁって最近よく思うわけです。
もちろん「やたらめったら好きなブログの書き手に対して感想メールを送りまくれ!」というわけではありません。
今、自分が直感的に必要だって思ったことを、もっともっと行動に起こしてみたほうがいいのだろうなといういことです。
サプライズ的なおもしろさは、自分たちの予想の範疇を超えたところから。
そもそも、はじめからゴールが見えていることであれば、自分(達)の想像の範疇を超えていきません。そこで得られるのは「あー、やり遂げた!」っていう達成感のみ。
それはそれでアドレナリンが出まくって楽しいのですが、おもしろいかと言われればサプライズ的なおもしろさはありません。だから、以前書いた「対談がしたいです。」っていうのも、そういう理由から書きました。
その行動自体に、一体どんな効果があるのかはわからないけれど「これはやらなきゃいけない!」って直感的に思う時がある。そんな感情が湧いてきた時に、実際に行動に起こせるかどうかが大事なのだろうなぁと。
そんな感情が湧いてきたとしても、何かしらのメリットを提示しないと実行に移せない今の世の中です。「明日は今日よりも良くなる」と自信を持って宣言できない現在の日本では、一切のムダも許されない雰囲気が蔓延している。
それはあのムダに大きい競技場にも近い話で。まぁあれはかなり極端な例かもしれないけれど、限られた予算を皆で奪い合って、投資した予算に見合った成果を皆が期待している中でやろうとするから、一銭のムダも許さない!ってなっちゃう。
その螺旋から降りてしまうこと。
だから、今必要なことは、いっその事その螺旋から降りてしまうことなのかなと。
他人の金でやっていちゃダメだって思う理由もここにあります。人様の世話になっているからこそ、期待もされるし、一切のムダができなくなる。
自分たちの食い扶持を自分たちで稼いで、もしかしたら食い物自体も自分たちで耕して収穫して、全部自分たちで用意して、そこから始まる壮大なムダが今求められているのかなと。
過疎の地域に移住して、自給自足の暮らしをしている人たちの中にはそんな気運があるような気がしています。あとは、リトルプレスをつくっている人たちの中にも、そういった文脈のもと取り組んでいる人たちもいるかもしれません。
最後に
それが生産性のある行動なのかもわからないし、ましてや経済活動に繋がるかどうかもわからないけれど、自分たちが今直感的に必要だと感じていること。それに正直になって、感情の赴くままに行動してみる。それがたとえ壮大なムダだとしても。
これから生まれてくる新しい芽っていうのは、そういった人の予想の範疇を超えたところから生まれてくるのかもしれないなと。
少なくとも僕はそんなふうに思うから、そんなムダなことをやっている人たちを全力で応援したいと思うし、その過程を取材したいと思うし、そんなメディアを作っていきたいのだと思います。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!