信頼できて、安心感のある交差点をつくり出すこと。

昨日、長谷川さんのツイートを受けて、こんなツイートをしてみました。


リアルでもウェブでも、結局は「人通り」。

リアルでもウェブでも、結局はそこに「人通り」があるかどうかです。

そこにたくさん人が通るのであれば、広告を出したいという人は必ず存在します。

例えるのであれば、大手バイラルメディアやキュレーションメディアは、イオンモールのようなもの。

1箇所で買い物から食事、映画や子供の遊び場まで、そこで1日の全てを完結することができます。

1つのメディア上でそんな巨大な空間をつくり出し、沢山の人を集めてきて、そこに広告を載せるということは、ビジネスとしても十分に成り立つわけです。

一方で、ぼくらのようなテーマを絞ったメディアは、そんな巨大ショッピングモールのような空間をつくり出すことはできないし、読者の方々からもそんな空間は望まれていないでしょう。

ぼくらのようなメディアに求められていることは、商店街のような「人通り」であり、そこに集まる人々全体をコミュニティとして捉えた上での「人通り」なのだと思います。

信頼できて、安心感のある交差点が求められる。

じゃあ、具体的には一体どんな「人通り」が求められているのでしょう?

確かに、商店街のような空間であっても、同様にたくさんの人たちが集まっていれば、広告を出したいという人たちは後を絶たないのかもしれません。

だけど、どれだけ多くの人々を惹きつける商店街だとしても、新宿歌舞伎町のような治安が悪そうな商店街には、あまり広告を出したくないですよね。

それよりも、もっと安心できて、自社の製品やサービスを好んでくれそうな信頼できる人たちが往来しているような場所に広告を出したい。

いや、広告を出すだけでなく、作り手も受け手も一緒になって、そこで新しい価値観を創造していきたいと願うはずです。

だからこそ、僕らはそんな交差点をウェブメディアがネット上につくり出すべきだと思うのです。(もちろんそこから派生してリアルでも。)

参照:“情報の交差点”から、ものづくりの“市場”へ。「僕らの理想の◯◯ってなんだろう?」を実験してみたい。 | 隠居系男子

最後に

これからのメディアづくりにおける観点も、これまでのまちづくりにおける観点と全く一緒なのではないでしょうか。

そうであるならば、自分たちがつくり出そうとしている交差点の質に、もっともっと敏感になったほうがいい。

そして、決して排他的にはならないという前提のもと、そこに集まってくれる人達の数だけでなく性質についても、もっともっとつぶさに観察したほう方がいい。

参照:イケてるお店にはイケてるお客さんがいる。メディアにおける“イケてる読み手”の重要性。 | 隠居系男子

そんなことを考える今日このごろです。

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