どうも鳥井(@hirofumi21)です。
最近、このブログを毎日書き続けてきたことで、多数あるモノの中から、自分はこれが好き!っていうのを見分けられるようになってきたなと思います。
もちろん、今までも「何がよくて、何が悪いのか」っていうことは、自分の感性で判断してこれたと思っています。
しかし、「好きなものを一つに絞る」ということと、物事の良し悪しというのは全く別の話です…。今日はそんな話について書いてみようと思います。
良い悪いは判断できても、好きなモノを一つに決められなかった
今までは「で、結局何が好きなの?」って聞かれた時に答えられなかった。
「何がよくて何が悪いのか」っていうのは理解できていたけれど、じゃあそこで「何が好き?」って聞かれると「うーん、よくわからない。」という状態。
でも最近は、それが少しずつ変化してきたように思います。「毎日書く」という習慣付けをしたことによって、アウトプット前提の暮らしに変化したからなのでしょう。
ブログを書くときというのは、何か一つにコンテンツを絞らなければいけません。
何か大きな枠組みを取り上げる場合であっても、全体像から細部によって、また最後に全体像という視点でまとめるということをしなければいけません。
この前の「文化誌が街の意識を変える展」なんかも、まさにそうゆう記事でした。
参照:「文化誌が街の意識を変える展」で見つけた『津和野時間』に惚れました。 | 隠居系男子
一年前の自分だったら、47都道府県の文化誌の中から1つを選び出して、記事にするなんてことは出来なかったと思います。
しかし、最近はその作業が自然とできるようになってきた。
誰が褒めているわけでもない、「ただ自分が本当に好きだから、これを選んだんだ。」と言えるような事が増えてきたんです。
ブログを書くことで得られる本当の価値
自分の中の感情を、曖昧のままで終わらせないこと。
参照:なぜ僕は、毎日ブログを書くことを辞められないのか。 | 隠居系男子
例えば、日本の良さについても「カオス感だ!」ってことだけで終わらちゃいけない。
参照:日本の良いところはカオス感だと言うのは、言語化をサボっているだけ。 | 隠居系男子
そうやって、徹底して考えていくうちに「これだ!」ってものが浮かんでくる。そして意気揚々と書いてみるのだけれど、全然読まれない…。
参照:ウェブ上の物書きには、“打ちひしがれる経験”が絶対に必要だ。 | 隠居系男子
でも、そんな“ぬか喜びと自己嫌悪の繰り返し”がいつの間にか自分の好きを明確にしてくれていて、人に読まれるということよりも更に尊い価値を自分の中に作り出してくれていたんです。そんなことに最近気付きました。
これを読んでくださっている皆さんの、何かしらの参考になれば幸いです。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!