この前の「仮想通貨ナイト」の質疑応答の時にも似たようなお話をしたんですが、これからは「いい人」の基準が民主化されていくと思っています。
参照:【仮想通貨ナイト】事前に準備しておいた質問の答えを公開します。 | 隠居系男子
大企業が決めた画一的な「いい人」の基準。
今の世の中は、与信がすべて。
大企業や行政など、特定の大きな団体が決めた「信用」の基準を満たしていないとお金が借りられません。
お金以外にも、クレジットカードを作る時、家を借りる時、ケータイを購入する時にも、その基準を満たしていないといけない。
人によって異なる「いい人」の基準。
でも、仮想通貨や評価経済社会が浸透してくるとこれが大きく変わってきます。
この部分が民主化されるんです。つまり、その基準がさまざまになる。
誰かにとっての「いい人」でさえあれば、お金を集めることができるようになるということです。
たとえば、僕にとってのいい人とは、預金も担保もなかったとしても「静かに約束を守り続けられる人」。
参照:若者へ。静かに約束し、静かに守り続けるということ。 | 隠居系男子
あとは、「継続力」と「工夫する力」があると完璧です。
参照:これからの若い世代に身につけて欲しい「継続力」と「工夫する力」。 | 隠居系男子
そういう人に対してだったら、僕は信用してお金を渡そうと思える。
でももちろん「私にとってのいい人の基準はそうじゃない!」っていう人もいると思います。
約束なんか守らなくていいから「とにかくおもしろければOK!」という人もいるでしょう。
これが「いい人」の基準が民主化されるという意味です。
最後に
「評価経済社会になってしまうと、いい人しか生き残れなくなってしまうじゃないか!」
最近よく目にするようになった批判です。
確かにその批判も間違っていないとは思うのですが、同時に「いい人の基準」も多種多様になっていくと思うので、僕は今よりももっと生きやすく多様性のある世の中になっていくと思っています。
だから、この批判に対してもだいぶ楽観的。
むしろいま大切なことは、「じゃあ自分は誰にとってどんな『いい人』で在りたいのか?」ということを真剣に考えることだと思います。
それが結局、前にも書いた「自分は何をもって覚えられたいのか」ということなのでしょう。
参照LブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。 | 隠居系男子
このブログをいつも読んでくれているみなさんにとって何かしらの参考になれば幸いです。