どうも鳥井(@hirofumi21)です。
決して万人受けするわけではないけれど、しっかりと思考を深めて文章にしている人たち。特にまだ脚光を浴びていない若い人々。
そうやって思考を深めている静かな人たちに書く場所を提供したい。それを求めている読者にしっかりと届け、それを生業していくことができるような空間を提供したい。
今日はそんなお話です。
「自分で這い上がってこれないヤツは、無能。」は本当か?
「自分で這い上がってこれないヤツは、無能。」
そんな意見があることは知っています。そして、確かにそれはその通り。ある程度のところまでは、絶対に自分で這い上がってくる必要はあると思います。
また、どれだけ思考を深めている人であっても、その上で表現される文章が全くおもしろくない人まで擁護するつもりは全くありません。
大衆迎合的なモノしか生業にならない現状。
ただ、今の状況は異常だと思います。
「普通におもしろいじゃん!」っていう人たちが、全く陽の光が当たっていないということが往々にしてある。
紙の出版はドンドン保守的になっていき、ベテランばかり。その中で若手が選ばれるとしても、確実に売れると判断された人たちだけ。出版社側で育てようという気概がなくて、既に人気のある大衆迎合的な若手ばかりを選んでいく。
「紙の本に期待できないのであれば、ネットで書けばいいじゃないか!」と思われるかもしれませんが、ネット上で書くことを生業にするためには、いつまでも衆愚化問題がつきまとう。
その結果、思考を深めるのを諦めて、静かな人たちが声を張り上げていかなければいけない。そんな姿を見ているのが、時々虚しくてしょうがなくなります。
メディアが果たすべき役割。
彼ら・彼女らの書いているものが本当に価値のあるものであると判断するのであれば、しっかりと場を提供したいと思うのがメディア側の本来の欲するところのはず。
そのためには、自分たちがしっかりと場をつくり読者を集めてきて、その場を提供し、必要十分な報酬を支払えるようにすること。
クリエイター側ではなくメディア側の道を選んだからには、それが果たすべき責務の一つだと思っています。
すぐに受け入れられなくても、一緒に成長していく感覚。一緒に市場を作っていくような感覚がなによりも重要になってくるのでしょう。
「ブルー・オーシャンをねらえ!」の意味について考えてみた。 | 隠居系男子
質の高い100人の読者を集めることができれば、次のステップに進むことができる。 | 隠居系男子
最後に
伝統産業や民藝における、作り手さんとお店の関係にも近いのかもしれません。
参照:連綿と続く日本の文化を絶やさないために。民藝のある暮し「手しごと」 | 灯台もと暮らし
確実に売れるものだけを集めてきて、予想通り売れたからといって、そこに楽しさはありません。
自分たちの見せ方によって、本当に価値あるものが、正当な評価を受けるようになった瞬間、この上ない喜びに繋がるのではないでしょうか。そこに場作りの一番の楽しさが隠れている、僕はそんな風に思っています。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!