昨日のWasei Salonの集まりで、えぶり号で日本全国を巡っているEVERY DENIMの山脇さんが「関係性」という言葉を最近各地で耳にするようになってきたという話をしていました。
このお話がすごく興味深かったです。
コミュニティの流れもそうだけど、きっとこれまでの「個人」にスポットライトが当たるという流れから、徐々に個人と個人の間にある「関係性」のほうに注目が移り変わってきているのかもしれないなあと。
では、なぜいま「関係性」に移り関わってきているのか?
僕はその理由が2つあると思っていて、ひとつは「嘘がない」こと。そして、もうひとつが「そこにドラマがあるから」です。
今日はそんな話を少しだけ書いてみようかなと。
嘘がないこと。
まず、そもそも論として「関係性」って、嘘がつけないんです。
昨今、広告という「嘘」が忌み嫌われて、嘘のない個人にスポットライトが当たるようになりました。…がしかし、個人でもやっぱり自己プロデュースがうまい人というのは一定数存在していて。
それは決して嘘ではないけれど、そこには誇張がある。
でも、関係性を誇張するっていうのは、なかなか難しいんですよね…。
必ずリアルな関係性が現れてしまう。
関係性が本物かどうかというのは、すぐにバレてしまうんです。
僕が、Waseisalonを始めたきっかけもまさにそこで。
僕がその「関係性」を愛でたいという欲求からスタートしています。
そこにドラマがあるから。
もうひとつの理由は、そこに「ドラマがあるから」です。
つまり、そのドラマチック性から「共感」が生まれるということなんだと思います。
参照:共感を呼ぶカギは、そこに人間ドラマがあるかどうか。 | 隠居系男子
もちろん、「個人」でもドラマというのは存在するのですが、ひとりでドラマチックなストーリーを作り出すことって、なかなか難しい…。
それこそプロ野球選手とかサッカー選手とか、そういう一握りのひとたちが作り出すドラマじゃなければ、見ている側は退屈してしまうでしょう。
だからといって、いわゆる人生ドラマと言われるような「一回どん底に落ちて、そこから不死鳥のように這い上がってきて復活して〜」というようなドラマを全員が生み出せるかと言えばそうじゃないですよね…。
でも、人と人との間には必ずドラマが存在するんです。
この日常に潜むドラマチック性に共感をするひとたちが今増えてきたということなんだろうなと思います。
最後に
さて、そうなってくると今度はその「関係性」を上手に表現できるひと、うまくプロデュースできるひとが求められるようになってくる、それは世の常です。
文章でも写真でも、そこにある「関係性」を上手に表現できるひとはこれから絶対に重宝がられるだろうなと。
個人的に、この「関係性」を描写するのがとても上手だなあと思うのは、
文章だったらあかしゆかさん。
写真だったら土田凌さん。
ぜひ気になる方はおふたりの作品みてみてください。
僕が言わんとすることが理解してもらえるかと思います。
今日のお話が、いつもこのブログをいつも読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になれば幸いです。