昨日、明治大学・鞍田崇先生の授業「ローカルスタンダードをデザインする (環境人文学I)」でゲスト講師を務めてきました。
「ボクが『灯台もと暮らし』を立ち上げた理由」というテーマでお話させていただきました。
今日はその感想を少しだけ書いてみようかなと。
学生さんたちの質問のレベルが高い。
まず、なによりも一番驚かされたのは、学生さんたちの質問のレベルが高いこと。質疑応答のタイミングでズバズバと本質的な質問を投げかけてくれました。
そして、いつものイベントだったらサラッと受け流してもらえるようなところを「なぜですか…?」と食い下がってくれたのも本当に嬉しかったです。
一生懸命考えて、少しでも理解を深め、納得感を得ようとする姿勢がヒシヒシと伝わってきた。
僕自身も「そうそう!こういうやり取りがしたかったんだ…!」と心の底からこみ上げてくる喜びがありました。
インターネットに対して興味がないことへの危惧感。
一方で、「オンラインサロン」などインターネットに対しての興味関心の低さが少しだけ気になりました。
オンラインサロンを知っていた学生さんは数名程度、全体の1割も満たない数だったと思います。
僕が学生の頃はまだまだSNSやスマホが発展途上の段階だったので、積極的にソレを触る意欲が湧いてきたのですが、今の学生さんたちにとっては、あまりにも日常的に存在してしまっているからこそ、あえてディグろうとは思わないのかもしれません。
参照:すべてのものがアマゾン化する中で、それでも耕し続けたいものは何か? | 隠居系男子
でも、インターネットほど若者の味方になってくれるツールはありません。(今のところ)
この可能性を活かしきれていないということは、本当にもったいないなあと感じてしまいます。
学生さんたちこそ、“自身の直感”をもっともっとインターネットで発信するべきだと僕は思っているので、このあたりはもっとアカデミックな業界とインターネットが好きな人間がしっかりと繋がって、その可能性を広く伝えていくべきなのかもしれないなと思いました。
大学生の感度の高さは尋常じゃないんだから、もっとそれを発信したほうがいいよというお話。 | 隠居系男子
大学生の感度の高さは尋常じゃないんだから、違和感も大切にした方がいいよというお話。 | 隠居系男子
大学は本来、腹を割って議論することができる空間だったはず。
大学とは本来、そこに集まる人間がそれぞれの肩書を取っ払ってフラットにつながり、腹を割って議論することができる空間だったはずです。
しかし、それが今は形骸化しつつあって、スタンプラリーのように単位だけを取るような場所になってしまっている…。
その揺り戻しや、先行き不透明な時代に何があるべき姿なのかを本気で議論したいという欲求が、今のサロンブームやコミュニティブームを生んでいる側面もあるのだと思います。
だからこそ大学は、これからの時代にものすごく可能性を秘めている場所だと改めて感じました。
昨日の自分の体験を通じて、これからもっともっと大学で授業をやってみたいなと思いました。もし大学関係者の方でご興味がある方がいれば、お声掛けいただけると嬉しいです。
[追伸]
今日はお世話になってる鳥井さんが母校明治で授業するということで行ってきた。もとくらのやってることや背景、そして鳥井さんの生い立ちなど改めて勉強になったとともにまだまだ全然何もできてないなと反省した。鳥井さんもwaseiもめっちゃやってる、俺ももっとやろうと、学生横目にそんなことを。 pic.twitter.com/xjE45yjxoM
— 河野 涼@伝統工芸・モノづくり (@ryoxxx71) 2018年6月20日
「嫌い」という感情を大切にして欲しい
鳥井さんがよく言う「直感を大事に行動してください」という言葉。それには「好きだから」と「嫌いだから」の2種類の直感が含まれていると思う。俺は完全に「嫌いだから」の直感が強い。https://t.co/NslU6pseoU @takeee814— たっけ (@takeee814) 2018年6月20日
土田さん、たっけさん、河野さんなど、Waseisalonのメンバーが遊びに来てくれたのも本当に嬉しかったです。本当にいつもありがとうございます!